今の私ができるまで vol.1

教員になりたいと思っていた。

大学時代はいろんな種類のバイトをした。
続けていたのは塾の講師で、
教員免許(中学・高校の国語)も取得し、
さぁいよいよ・・というところで
いろんな流れがあり、
全く違う仕事につくこととなった。

なぜ教員を目指したのかを考えると、
自分の意思プラス、歴代の先生が
良い方ばかりだったことが大きい。
教員とどんな関わりを持ってきたか、は
教員を志す動機に大きく影響すると思う。

余りに辛い経験をした場合、
自分が良い先生になり、
自分と同じような経験をする生徒が
少しでも少なくなるように…という
気持ちは、持ちにくいのではないか。

ただそういう子はきっと、
その環境から離れた時、
または社会に出た時、
先生という立場ではないが
自分を認め、導いてくれる人に
出会えるはず。きっと。
そうであって欲しいし、
そう信じている。

私が出会った先生方は、
それぞれの個性はありつつ、
人として尊敬できる方々だったので、
安心して、自分の本分である
勉強や部活に励むことができ、
恵まれた学生生活だった。
今振り返っても、先生方と環境に
とても感謝している。
ありがとうございます。

(*余談*
私が小学生の頃、母が保護者面談に
行った時、担任の先生が(私の)
「おっちょこちょいなところが好きです」
と言ってくださったそうで
「お母さんのせいで…ごめんね」と。
遺伝だと想うから、と。ただ、祖母も
かなり笑えるエピソードの持ち主なので、
代々受け継がれている気がする…(笑)

この先生みたいになりたい!と一人の
先生だけに心酔する気持ちは余りないながら、
どの先生にも本当に感謝しているし、
自分は自分なりの教員になるんだろうなと
漠然と感じていた。

しいて言うなら、いわゆる
普通の子、目立たない子の個性に注目し、
良さを引き出す手伝いがしたかった。
この言い方も不遜なようで難しいが、
全ての子が自信を持って生きていって欲しい
気持ちがあり、それを伝えていきたくて。

学校生活では、良くも悪くも
「とびぬけている子」が目立つ。
もしくは賑やかな子。
静かにマイペースでいる子、
言えないだけでひそかに悩みを抱えている子、
自己主張が強くなく無自覚ながら
個性や才能が光っている子・・は影が薄く、
気づいて貰えてないことが多い。

皆、先生やまわりに無関心なように見えても、
実は自分をもっと見てほしい、気づいて欲しい
という光線を発しているように思えた。
光線の太さは違っても、かすかでも、
どの子もそうだった。

そういう子に話しかけると、
必ず実のある話が聞けた。
みんな自分の中に、
豊かな物語を持っているのだ。

一匹狼のような群れない子にも話しかけ、
その子の好きなこと、
今夢中になっていること、
やりたいことを聞くのが好きだったし、
わくわくした。
そして相手も私を好いてくれ、
話は盛り上がった。

こんなに魅力があるのに、というか
皆がそうなのに、
全然気づいて貰えていない。
もったいないなとずっと思っていた。

塾の講師をしていた時も、
自分のことや悩みを話してくる子は多く、
その日分の内容が終わったら、
後は話を聞いていた。・・といっても、
アドバイスということではなく、
話を聞いて一緒に考えるような感じ。

私など及びもつかないような、
しんどい経験をしている子もいたので。
それぞれの境遇の中で懸命に頑張っており、
それは大人と一緒だなと思っていた。

何を甘えてる、自分を見て欲しい、
話を聞いて欲しいなら自己主張しないと、
と言う人がいるかもしれない。

でもまだ人生経験の浅い小さな子や
若者で、性格もあると思うけど、
誰かに認められ、共感を得て、
自信やパワーが少しでもつかないと、
正面切って打って出るなんて
中々できないものだ。

あなたはあなたのままでいい。
それでいいんだよ。行け行けー。
そう言って、トンと背中を押してくれる
誰かが必要な時がある。そう想う。

自分の学生時代を振り返っても、
勉強ができたり、運動ができたり、
面白いことが言えたり、賑やかだったり、
そういう子ばかりが注目され、
教室の空気が決定しているように見えた。

私自身、先生や友人と良好な関係を
築いていた中でも、その空気に
なんとなくもやもやしていた。

大人になったら、学生時代の悩みや
子供の頃の気持ちを忘れ…もしくは
その時の気持ちに疎くなり、
どうしてあんなことに心を煩わせて
いたんだろう、と思うこともある。

大人になれば、
そうでないとやっていけないほど、
複雑かつ深刻な状況があれこれ
やってくるから、これくらいで
ちょうどいいのかもしれない。

ただ、こと教員という立場になった場合、
それはどうなのか。
おーざっぱなひとくくり、
目立つ子だけに目がいくという状況で、
果たしていいのか。

確かに教員は忙しい。
学科を教えること以外にもやることが
ありすぎて、
それどころじゃない事情もあるだろう。

だけどやっぱり、
光線を発している子の存在に
ちゃんと気づき、受けとめることこそ、
教員にできることなんじゃないか。

その子を見ている。見守る。
見ているよと伝える。
それだけでも変わってくる気がする。

心強さと安心を、
少しでも感じてもらえるのではないか。
前に進む力になれるのではないか。

主体はその子であり、
教員は伴走者のようなもの。
必要な時に必要なサポートをしながら、
その子がその子らしく生きていけるよう
見守る存在。

学科への興味、楽しさ、面白さ、
奥深さを伝えていくのと同時に、
私が小さい頃から学生時代まで、
クラスメイトや塾の生徒を見て話して、
ずっと感じてきたもやもや感、
もどかしい思いを、
自分が教員になって関わる子のうち、
少しでもどうにかできたら、
と思っていた。

が、人生の流れは意外な方へ向かい、
私は大学卒業後の春、ある会社に入社し、
社会人としての生活をスタートすることに
なる。

そこからも色々、今振り返れば面白い、
当時の自分としてはわりとしんどいことが
起こり…。*それはまた別の機会に。。
(その気になったら続きを書きます^^)