距離感を見誤らない -想いを愛にできたなら-

先日ふと、
25年ぶりに気づいたことが
あって。

えーーーあの時のあれは
そうだったのか、という。
衝撃でした。
もう、ありがとう、しかない。

私の場合、
基本がポンコツ仕様なので
後で気づくことも多く、
その度に、もう遅いけど、
(どこにいてどうされているのか
分からないし、連絡もとれない、
とる気持ちもないので…)
心の中で感謝しています。
ありがとう、と。

そんな配慮があって
そうしてくれていたのか、
だから
心地良くすごせていたのか。
なのに
私はなにができていたのか。
なにもできていやしない、と。

—–

それで思ったのですが、
私が好きになる人というのは
人との距離感を見誤らない人
なのです。

人として、
繊細で優しくて愛のある、
賢い人。

こちらが言っても、
言わなくても、
言葉があっても、なくても、
真意を決して見誤らず、
その人の望む、もしくは
本人も気づいていない部分に
気づき、そこに沿うことの
できる人、です。

表現の仕方が
表向きはそうは見えなくても、
です。

理性的でありながら、
感性も豊か。

こういう傾向を
知った時、感じた時に
ぐっとくるというか。

深い尊敬の念を抱きます。
好きにならずにいられない。
その繊細さに、優しさに。

人の心を敏感に察知できて、
それに応じた行動ができる。

だから仕事もできる。
ますます尊敬する。
という感じ。

—–

人との関わりって、
そんなつもりはなくても
誤解やすれ違いが発生する
こと、ありますよね。

そういう時にも
距離感を見誤らない人は
さりげなく、だけど的確な
フォローができる。

でもさりげなすぎて(笑)
気づかれないこともあるんです。

いちいち、
あなたはこうだろうから、
こうしてるんだよ、なんて
自分から言わない。

そこにも美学を感じるし、
共感するんですね。

それができるって、
やっぱりすごいことなんです。
だから尊敬するし、感謝します。

そういう部分だけかというと
人間だからダメダメな(そう見える)
部分もある。

バランスというか。
甘いだけじゃなくて少し塩も
あった方がよりおいしく感じる、
というような。
どちらをも引き立てるような。
そこもいいんですよね。

それと、
好きになった人との関係性は、
放っておいてもいい訳じゃなく、
たとえ距離感を見誤らない人で
あっても、好きだからこそ
(なのだと思いますが)、
怖れや不安から、普段にはない
誤解をしてしまってすれ違う、
ということもあるんですよね。

人って強いようで弱いし、
弱いようで強いと思うんです。

私が25年前当時、
その人とはなれたのは、
誤解がきっかけでしたが、
私はその人を過信していました。

いつも冷静で、
人の気持ちを感じることに
長けている人なのだから、
まさか誤解や勘違いなど
するはずない、
ドジな私ならともかく、と。

だけどその人も「人」で。
強いようで弱い「人」…。

だから、
私のことを好きでいてくれた、
その気持ちのあまり、
不安だったんですよね、きっと。
今なら分かる。
でも当時はそれに気づけなくて。

言葉で説明するべきでした。
分かってくれるだろうではなく。
その人が怒ったのは、
なぜ言ってくれなかったのか、
という気持ちで
さみしくて悲しかったからだと
理解できていたら良かった。
後から気づいたんです。
それも長い年月を経て…。

今の私ができることは、
当時のその人にありがとうと
感謝することだけです。

—–

愛されたい、というベクトルと
愛したい、というベクトルは逆。

愛されたらどれだけ嬉しいか、
と思います。
だけどそれは相手次第。

今分かるのは、できるのは
私は愛する、ということ。

今の私にとって大切な人に
自分の気持ちを伝えることだけ。

でもそれも迷惑かもしれません。
が、それでも。
迷惑だったらごめんね。と
思いながら、それでも…。
傷つくことをいとわず、
勇気を出してみる。

それをしないということは、
私が私をごまかしている、
本当の心を見ぬふりをしている、
ということになるから、です。

だから怖くても、
何もしない方がラクであっても、
それでも…と、言葉にすると
なんだか悲壮な感じしますけど、
そうじゃなくて。

感じたまま、
素直に気持ちを表現してみる、
ということです。
恥をかいても、イタくても…。
どちらかというと、
アホっぽいというか。
アホの子というか。

それで、
受け取ってくれるかどうかは
相手が決めること。
(もちろん、受け取ってくれたら
それだけですごく嬉しいし、
ありがとうって思います^^)

素敵な「一方通行」は、
恋も愛も同じかもしれません。
が、
相手が、過去も今も、
どのような状態であっても、
それでも想う、まるごと想う、
というのは、愛なのかも。

無理してとか、我慢ではなく。
自然にあふれるような
相手への想い、から…。

想いを愛にできたなら、
相手からの愛を、
過度に、または自分勝手に
求めなくても、
幸せなのかもしれません。

そうすることで
本当の愛、真実の愛に
近づけるのかな、と思います。