応援する


世の中には目に見えること、
見えないことがあります。

で、確かなものとして
信じられていたり、
重宝がられたり、
証明になったりするのは、
目に見えること、です。

生きていくためには
とても大事。

だけど、
目に見えないことは、
同じかもっと大事。

見えない分、
見ようとする、
やり取りしようとする、
ことが大事。なのかなーと、
そう思うんです。

—–

自分にとって
大切な人がいるとして。

それが知人でも、友人でも、
恋人でも、家族でも、
そういう枠に入らなくても
とても大切な人、がいる。

そしてその人のために
自分ができることをしたいと
思ったとします。

そんな時にできるのは、
応援なんじゃないかと。

これは目に見えません。

応援ということで、
その人に物を贈ったり、
その人から何かを買う、
ということも
できるかもしれません。
目に見えるものですね。
それも有り難いこと。

だけどここで言うのは、
エネルギーとしての、
心の中での「応援」。
目に見えないもの、です。

応援とは、祈りです。
その人が望む方向へ進むよう、
心を込めて祈る。

具体的には、物質的には、
何もできない。
しようとしても限りがあったり、
することが逆に迷惑になったり、
物理的にはなれていてできない、
という場合もあるかと。

だけど、応援ならどうか。

目に見えないから必要ない、
価値がない、いらないですか。
いらないかもしれません。
そういうこともありますよね。

でも私は…嬉しいです。
応援されることも、
応援してくれる人がいることも、
すごく力になります。

力になって行動できます。
行動できたら、
何かしらの結果が出ます。

その結果は物質や成果を生み、
充実感と感謝を得られます。

見えない祈りである応援から、
見えるものも、見えないものも
生まれます。得られます。

—–

応援している、
ということを伝えずに、
ひそかに応援する。
それはそれでいい。

だけど、応援している、と
伝えることも、もしかしたら
応援になるのでは?
そうだといいな、と思うんです。

人って
いい時ばかりじゃなくて、
苦しい時や孤独な時も
ありますよね。

いい時はいいんです。
きっと何か働きかけをしなくても
力を貸してくれる人が複数いると
思うから。

だけどいい状態じゃない時。
損得を考えてはなれていったり、
いい時のあなたなら関わりたいと
いう態度だったり。
そんな状況の中にいて、
誰をも信じられなくなりそうな時。

そんな時に、
そんな時だからこそ、
応援してくれる人の存在が、
力になる気がします。
見えない力に。

応援していると
誰にでも言っている訳ではなく、
公の場で言うのでもなく、
自分にとって大切な人にだけ
伝えています。

きっとその人はその人の力で
いろんなことを乗り越えられる。
だから本来なにもしなくていい。

だけどもしくじけそうになったら、
私が応援していますと。
ただそれだけ…。

そういう私は、何ができるのか、
それほど優れた人間なのか、
といったら、全然違います。

基本がポンコツですし、
論理的思考能力に長けてもいず、
役に立てることはない、
かもしれない…。

いやほんとなんもできないかも。
…でもそれでも。

祈ることはできる。
応援することならできる。
本当にそれだけ、なんですけど。

いつでもスタンバってます。
心を開いて。
自分の人生を歩みながら。

連絡がないなら
その人の様子を、活躍を
ただ見ていたいです。
素敵だなって。
良かったねって。

そしてそんな風に
大切に想える人と
出会えたことに、
応援したり見ていたり
できることに、
感謝していたいです。
ありがとう^^と。

—–

応援する。
それは無力な自分が唯一できる
大切な人への祈り。

応援することで
ほんのわずかでも、何か
力が湧いてくるきっかけや
拠り所になれば嬉しいです。

そこから目に見えるものが、
その人らしいものが
生み出されることを祈ります。

もしも万が一、
応援することで、大切な人の
目に見えない部分での
支えに少しでもなれたなら、
無上の喜び、幸せです。