ボケてなんぼ ~カメラと会話の共通点~

一眼レフを買ってまず最初に
びっくりしたのが、背景がボケる
ということ。

これで一気に立体感と奥行きが出て、
写真がうまくなったかのような気分
になり、夢中で撮影に没頭した。

あれから時は流れ、
私は今、公私ともに写真を撮って
暮らしている。

私の好みは背景がボケ気味の写真で、
F値は2.8~3.5くらいが好き。
趣味で撮る場合、絞りを変えること
は、ほとんどない。

 

ただ、仕事の写真の場合、
背景がボケすぎると伝えたい情報
(商品名や包装紙など)が見えない、
奥に置いたものが何か分からない、
ということになり、支障が出るので、
ある程度まで絞り、被写界深度深め
の写真を要求されることが多い。

それに私が一番良いと思った写真が
相手や編集さんの好みじゃないこと
もたまにある。

(とはいえ一度仕事をしたら分かる
ので次からは大丈夫)

好みの写真は趣味で撮れば良く、
客先が要求するものを提供するのが
仕事なのだから、当たり前の話だ。

編集さんに言われて印象的だったのは
「写真も文も、こちらの
レギュレーション(規定・決まり事)に
沿ったものということになりますが、
その中でも、美穂さんの個性が
感じられるようなものを頂きたいです」
という言葉。

これってすごく有り難いし、
やる気の出る言葉だ。

私の場合、写真と文章の両方で、
写真はいつも一発OKなのだが、
文章は訂正が入る。

これはやはり確認作業があるからで、
事実自体だけでなく言いまわしなど、
細かな点を直していく。

もちろんこの段階で編集さんから
赤(訂正)が入ることもある。

私は赤を入れられることに
全く抵抗がなく、むしろどんどん入れて、
と思う方だ。

なぜなら、私名義で書いているとはいえ、
その媒体の商品、表現として表に出る
ものなので、そういった影響下のもとで
書くのは当然であり、ここに変なエゴや
プライドが入る余地はないからだ。

(クオリティの高いものを納品するという
プライドは必要だけど)

でも最初、
編集さんがすごく遠慮して訂正指示を
出されてるのが分かったので、
「あの、私そういうの気にしないので、
どんどん言ってください。
それで最高に良い原稿になる方が
嬉しいです」と言ったらすぐに通じて、
ザクザク訂正して私が書き直し、
サクっと原稿がまとまった。
(だいぶ良い感じに書いてますw)。

 

後できくと、
フリーのライターさんの中には
あまりに訂正が入ると不機嫌になるor
自分の名前を出したくないと言う人が
いるそう。
もうそれは自分の原稿じゃない、とか。

なんだそのプライドは!
趣味でも自分個人の媒体でもないのに、
そんなプライドいらんわ、と。

それがいやなら他所で、
自分一人の力で媒体持って書くしか
ないだろう。

…あら?話がだいぶそれたので(笑)
写真の話に戻すと…。

絞りまくった写真で、背景が
くっきりはっきり写っているものも
いいとは思う。

思うけども、やっぱり背景って
ボケてなんぼじゃないかと感じている。

平面的な写真の中に立体感や動きが出て、
ドラマチックだったり、
ロマンチックだったり、
いろんな趣きを添えられる、
想像力の余地をあえて残すような感じで。

私はボケた背景が好きなのだ、ほんとに。

で、これって会話でも同じかなと思う。
関西人ではないけれど(笑)
やはり、ボケる、ユーモアがある、
オチがある、ということで会話にリズム
が生まれたり、なんというか実のある話
になったりするんじゃないかって思うから。

私の場合、
うっかり&おっちょこちょいなので、
ボケてるつもりはないのに結果的に
ボケてることになることも多々だが、
それもまたよしかなーと。
(まわりの皆さんの理解といじりに甘えて
生きておりますw)

独断と偏見で言う。
写真も会話もボケてなんぼ。
ボケたおしたらいいのだと思っている。

人物写真は絞りがこのくらいで…など
以前聞いたことに固執して、本当は
ボケ気味の背景が好きなのに、やたら
絞って撮っていた時期があった。

もうそんなの知らない。
自分が趣味で撮るときは
好きなように撮るもんねーという気分。

何度も言うけど、仕事は別。
こちらは相手の要求に最大限に応えて、
そこに自分の個性がはからずもにじみ出る、
というものであれば嬉しいなという感じ。

以上、ボケてなんぼのお話でした(笑)