なにもしない、という優しさ・愛 -相手が求めることをする-

数年前、取材に同行した時のこと。

・時間が限られている中、
できるだけ多くの店を取材したい、
・以前その地域へ行った経験がある、
ことから、私が訪問店を決め、
取材コースを設定し、打合せもした。

かなりの数の店をまわらなければ
いけない。
冗談抜きで分刻みのスケジュールだ。

食べて撮って書く、のだが、
「食べる」ためには、
体のコンディションを良い状態に
しておかなければならない。

(余談:以前聞いたお店の方のお話だと
中には食べずに書くライターさんも
おられるそう。私はそれはない。
同じ表現でも、体感してない言葉を
書きたくないから。)

いざ当日。
初めての取材同行で緊張して眠れず、
体調が思わしくなかった。
(もちろんこれはダメ。今はない)
食べることは、”どうにかできそう”、
という感じ。
でもそれは言わず、
取材先の地域へ向かった。

お店でインタビュー、食べる、撮る、
席を外す(苦笑)、を繰り返しつつ、
店を出たらひたすら移動、移動だ。

移動のバスの中、
同行者(女性)の隣に座った私は
目をつむっていた。
次の取材先で動けるよう、
体力温存したくて。

その間なにも言わず、
隣りにいてくれた同行者。
どうしたの?とも、大丈夫?も言わず、
ただただ無言でいてくれたのだが、
その無言&なにもしない、
というところに大きな優しさを感じた。
なんとも言えない安心感があった。

二人で話すことは、
取材に関することだけ。
必要事項を話すことに徹し、
無駄なやり取りは一切なしで、
無事、すべての取材を終えた。

夜、帰宅する列車の中ほっとした私が
「私、今日様子ヘンだったよね、
ごめんね。どうしてなにもきかないで
いてくれたの?」とたずねたら
「きっと、体がすごくしんどくて
つらいんだと思ったし、
美穂ちゃんがなにも言わないから、
私もきかなかった。」と。

もしも彼女が「どうしたの?」と
ひと言でも発していたら、私は
説明せねばならない。
それには体力、エネルギーが要る。

彼女はそうきいてもよかったし、
権利もある。だけどしなかった。

言葉をかけること、が
優しさではない。
なにかをしてあげること、が
愛とは限らない。

あえて「なにもしない」という
優しさや愛もある。

それを感じ取る感性、
感謝できる心を持っていたい。
そして相手の様子いかんによっては、
そうできる自分でいたい。

相手はどう思っているのか。
相手はどうして欲しいのか。

それを思いやって行動する
(あるいはしない)のが
優しさであり、愛なのだ。