謙虚な心と「だから何?」の精神 ~選ぶのは自分~

占い、おみくじなどが、
わりと好きな方だ。

日々、いろんなものを見るし、
参考にもしている。

だが、
最終的にそれらの中から取捨選択して
決めるのは自分だと思っている。

なので、
多少よくないことが書いてあっても
「ふーん…」という感じである。

当たること、当たらないこと。
それらが点在しているのが普通。

謙虚な心で受け止めることも大事だが、
「だから何?」という精神も大事だと
感じている。

神ならぬ身である人間が、感覚と
情報や知見から導き出したもの。

その人なりのフィルターがかかるのは
当然で、その人の言うこと全てが正しい
なんてこと、ある訳ない。
そう思っている。

目に見えないものを見たり、
感じたりする人が複数いて、
見えている現象が同じものだとしても、
それを伝える手段としての言語、また
言語をチョイスする感性は人それぞれ。

その人なりの闇や傷、因縁を持っていて
多少なりとも、それを通した伝達になる
のは免れ得ない。
そう考えているので、
言われたことをまるっと全部、
そのまま受け入れるということは、
私に限って言えば、ない。

何を判断基準にしているかというと、
それを聞いたときに、
自分の気分が高揚するかどうか。

心に温かく、熱い、
情熱の炎が灯るかどうか。
その一点である。

正しいかどうかなんてどうでもいい。

意気消沈させたり、
やる気をそぐような言葉ならいらない。
そういう無粋な言葉を聞くと、

「だから何?
私はこうしたいからする。
そしてその結果は自分が受け入れる。」
と、いつだってそう思う。

必要で自分に相応しい助言、言葉なら、
もっとすんなり自分の心に馴染む。
そう信じているので、
自分の感覚を優先するようにしている。

受け取りにくい言葉、助言というのは
発する人の自己顕示欲や承認欲求から
出ている場合もあるのでは?と思う。

謙虚に受け止めるときと、
「だから何?」というとき。

それは各自の判断になるが、
どうせ信じるなら、
正しいかどうかとか論理的なことじゃなく、
嬉しく気分が上がる、
ハートが感じるものを信じよう。
…と私は思っている。。