書いて内面に分け入り、浮上するということ


私は日々書いている。

日記やブログなどはもちろん、
何か見つめ直したり、考えたり
したいときも書く。

感じている思い、
うれしい、悲しい、つらい、
幸せな思いを書いていく。
とにかく書き出す。

悲しく、つらいなら、
それはなぜか、どうなりたいのか、
などなど。
とにかく書いて、掘り下げていく。

するといつしか、
悲しくつらかったはずのことが、
これは仕方なかったんだな、
味わうしかなかったんだな、
と分かったり、

おー、いま味わってて良かったよ、
と、うれしい、幸せのカテゴリに
入っていくこともある。
そして、ひとつになる。

だって書いていくうちに、
この経験でしか味わえない感情
だったんだと、
身に沁みて分かるから。

それはときに、
胸をえぐるような痛みかもしれないし、
消え入りたくなるような絶望かも
しれない。

だけど「それ」を味わえるのは、
この世で生きて体験したから。
これって貴重だ。

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自分の心の中をひとつひとつ
書き出して、 つぶさに見てみる。

すると、それらに善悪はなく、
ただそこにあるものだ、と分かる。

同時に、恥をかき、
人にゆるされながら生きている
ひとりのちっぽけな自分がそこにある。

なんともバカで、
おっちょこちょいで、おーざっぱで、
ゆるくて、なまけもので、
いとおしい自分がそこにある。

心を開き、丸腰で生きていると、
いろいろ面白い。

書くことで、
自分の内面に深く深く分け入り、
そこに生えた草花を見つめる。

どんなものも、
私の経験と心の動きから生まれた
美しいものだ。

こんなの生えたかー、ふーん・・
と見ているうちに心が落ち着いてくる。

そして私は戻ってくる。
ふわりと浮かんで。

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書いて内面に分け入り、
浮上するということ。

それは静かなる心の旅であり、
私の心のひだを増やし、
より豊かにしてくれる大切な作業である。