今の私ができるまで vol.1

教員になりたいと思っていた。

大学時代はかなりいろんな種類のバイトをしたが、
続けていたのは塾の講師で、教員免許(中学・高校の国語)も取得し、
さぁいよいよ・・というところでいろんな流れがあり、
全く違う仕事につくこととなった。

その後、会社員時代を経て結婚し、最近まではずっと専業主婦。
我が家は子供もいないので、学校の先生と接する機会もないまま、
今に至っている。

なぜ教員を目指したのかを考えると、自分の意思もそうだが、
歴代の先生が良い方ばかりだった、ということが大きいだろう。
教員とどのような関わりを持ってきたかというのは、
その子が教員を志す動機に大きく影響する。

余りに辛い経験をした場合、我こそはよき先生となり自分みたいな生徒を
なくすのだという気持ちは、持てなくなるんじゃないかと思う。

でもそういう子はきっと、その環境から離れた時、また社会に出た時、
先生という立場ではないが自分を認め、導いてくれる人に出会えるはず。
そうであって欲しいし、そう信じている。

私が出会った先生方は、それぞれの個性はもちろんありつつ、
性格に変な偏りがなく、人として尊敬できる人達だったので、
安心して自分の本分である勉強やクラブ、部活に励むことができ、
恵まれた学生生活だったと思っている。
どちらかと言えば優等生だったのもあり、先生には可愛がって貰った。

この先生みたいになりたい!と一人の先生だけに心酔するような気持ちは
余りないが、どの先生にも本当に感謝しているし、自分は自分なりの教員に
なるんだろうなと漠然と感じていた。

しいて言うなら、いわゆる普通の子、目立たない子の個性に注目し、
良さを引き出す手伝いがしたいという思いがあった。
この言い方も不遜なようで難しいが、全ての子が自信を持って生きて
行って欲しい、という気持ちがあり、それを伝えていきたかった。

学校生活では、良くも悪くも「とびぬけている子」が目立つ。
もしくは賑やかな子。
静かにマイペースでいる子、言えないだけでひそかに悩みを抱えている子、
自己主張が強くなく無自覚ながらきらりと光る才能が見え隠れしている子・・
というのは、影が薄く、気づいて貰えてないことが多い。

皆、先生やまわりに無関心なように見えても、 実は自分を
もっと見てほしい、気づいて欲しいという光線を発しているように思えた。
光線の太さは違っても、かすかでも、どの子もそうだった。

そういう子に話しかけると、必ず実のある話が聞けた。
みんな自分の中に豊かな物語を持っているのだ。
一匹狼のような群れない子にも話しかけ、その子の好きなこと、
今夢中になっていること、やりたいことを聞くのが好きだったし、
わくわくした。そして相手も私を好いてくれ、話は盛り上がった。

こんなに魅力があるのに、というか皆がそうなのに、
全然気づいて貰えていない。もったいないなとずっと思っていた。

塾の講師をしていた時も、自分のことや悩みを話してくる子は多く、
その日分の内容が終わったら、後は話を聞いていた。・・といっても、
アドバイスということではなく、話を聞いて一緒に考えるような感じ。
私など及びもつかないような、しんどい経験をしている子もいたので。
それぞれの境遇の中で懸命に頑張っており、それは大人と一緒だなと思っていた。

何を甘えているんだ、自分を見て欲しい・聞いて欲しいなら自己主張せよ、
と言う人が、いるかもしれない。
でもまだ人生経験の浅い小さな子や若者であり、性格もあるだろうが、
誰かに認められ、共感を得て、自信やパワーが少しでもつかないと、
正面切って打って出るなんてことは、中々できないものだ。

あんたそれでいいんだよ、行け行けー。
そう言って、トンと背中を押してくれる誰かが必要な時がある。

自分の学生時代を振り返っても、勉強ができたり、運動ができたり、
面白いことが言えたり、賑やかだったり、そういう子ばかりが注目され、
教室の空気が決定しているように見えた。

先生からの覚えも良い方で、自分は先生や友人とわりと良好な関係を
築いていた中でも、その空気になんとなくもやもやしていた。

大人になったら、学生時代の悩みや子供の頃の気持ちを忘れ、
どうしてあんなことに心を煩わせていたんだろう、と思う事がある。
まぁ大人になれば、実際そうでなければやっていけないほど、
複雑かつ深刻な状況が普通にあれこれやってくるから、これくらい忘れるので
ちょうどいい、とも思う。

でも、こと教員という立場になった場合、それはどうなのか。
おーざっぱなガハハ的ひとくくり、目立つ子にしか目もいかないし関心もない
という状況で、果たしていいのか。
確かに先生は忙しい。学科を教えること以外にもやることがありすぎて、
それどころじゃないという事情もあるだろう。

だけどやっぱり、光線を発している子の存在にちゃんと気づき、
受け止めることこそ、教員にできることなんじゃないか。

学科への興味、楽しさ、面白さ、奥深さを伝えていくのと同時に、
私が小さい頃から学生時代まで、クラスメイトや塾の生徒を見て話して、
ずっと感じてきたもやもや感、もどかしい思いを、自分が教員になって
関わる子のうち少しでもどうにかできたら、と思っていた。

が、人生の流れは意外で面白い。
学校や教員にはご縁がなかったようで、私は大学卒業後の春、
ある会社に入社し、社会人としての生活をスタートすることになる。

そこからも色々、今振り返れば「面白い」、当時の自分としては
わりとしんどいことが次々起こるのだが、それはまた別の機会に・・。

*その気になったら続きを書きます^^